東海道二峠六宿を歩く〜蒲原宿①〜
蒲原宿って?
蒲原宿は、東海道五十三次の、日本橋から15番目の宿場町です。
静岡県内で唯一「歴史国道※1」に指定されており、
当時の趣が感じられるレトロな町並みが魅力です。
なまこ壁※2や格子戸が美しい家屋、そして和洋折衷の建築物が
今もなお残っており、道ゆく人を惹きつけます。
※1 旧建設省により選定された、歴史上重要な幹線道路として利用され、歴史的文化的価値を持つ道路を指す。
※2 壁面に平瓦を並べ、その目地に漆喰をなまこのように盛り上げて塗る工法によりできる壁のこと。防火性や保温性、保湿性に優れており土蔵に用いられる。県内では他に松崎町や下田市でなまこ壁の建築物を見ることができる。
浮世絵師である歌川広重は、東海道五十三次の中で唯一雪のある風景として
ここ蒲原宿の景色を描いています。
人影もまばらな夜の街道、音もなく深々と降る雪の情景は、絵師の心象風景でしょうか。(中略)人間と自然との調和した描写は、地名を超越した普遍的な風景画として強い印象を与えます。 浮世絵のアダチ版画オンラインストアより
それでは実際に歩いてみます!!
今回のスタートは東木戸、ゴールは西木戸とします。
江戸の宿場には木戸あるいは見附と呼ばれる宿場の入り口がありました。
木戸により通行人の監視をし、宿場の治安を維持していたのです。
蒲原宿の木戸と木戸の間は約1.15kmあり、今回はこのコースを歩きます。
東木戸・渡邊家
JR東海道本線新蒲原駅で下車し、東木戸まで向かいます。↓到着。
ここから今日の散歩ははじまります。すぐ近くに諏訪神社があったので、
旅の無事をお祈りしておきました。ちなみに蒲原の諏訪神社には大きなシイノキがあります。
大きすぎて写真に収まりきりません。
歩き始めると右手にメグミルクの自動販売機が!開始早々喉が乾いたので見てみると、なんとビンの飲料がありました。初めて見た!
しばらく歩き、橋を渡ると、渡辺家・木屋江戸資料館が左手に見えてきます。訪ねるも、主人が留守にしており、中を見ることはできませんでした。
渡邊家は江戸時代に名主として蒲原宿を取り仕切る問屋をしていました。「木屋」というのは木材の商いをしていたことに由来する屋号です。渡邊家の土蔵や中にある文書は静岡市の有形文化財に指定されています。
歩みを進めると、こんなものが。
他にもゴーヤやオクラの無人販売も見かけました。なんだか可愛らしい雰囲気で好きです。
もっと早い時間に行ったら売っていたのかもしれません。
ちなみにこの辺りを通ったのは12時頃でした。
イルカすまし
ちょっと歩くと、「イルカすまし」と書かれた看板が。イ、、イルカ?!
しかも張り紙をよく見ると「蒲原のチューイングガム」「蒲原のゴム」なんて呼ばれているらしいです。(え…なにそれ…。)
未知のものと出会う気分でお店の中へ。
お店のおじちゃんに「イルカすましってなんですか」と聞くといろいろ教えてくれました。
イルカすましとは、イルカの背びれや尾びれの部分を薄く切って水にさらし、茹でた後に、塩を揉み込んだ食べ物です。イルカの背びれや尾びれは脂が多く、また臭みを取るのにも時間がかかるそうです。作ったばかりのものはイルカの身と塩とが十分に馴染んでおらず、塩気が強い味わいですが、しばらくすると馴染んできて、ほんのりとした塩味が日本酒によく合うそうです。
「どんな味かわからないだろうから」と一切れ試食させていただきました!人生初イルカ!
食感は確かにガム、ゴムといった感じでした。味は…。塩の味とイルカ独特の臭みが口に広がっていくようでした。好き嫌いが分かれるとおっしゃっていましたが、どうやら私は後者のようです…。ただ、イルカのすましが好きな人は本当にその味にハマるそうで、遠方からお客さんが来店したり大量の注文を受けたりするそうです!!
臭みがあると言いましたが、昔のイルカすましと比べると厚みも臭いも薄くなり、抜群に食べやすくなったらしいです。
ちなみに、おじちゃんが子どもの頃はイルカすましよりもチューイングガムの方が高価なものだったため、おやつ代わりに食べていたのだとか!その習慣があったからイルカすましが「蒲原のチューイングガム」と呼ばれるようになったのですね。当時は駄菓子屋でよく売られていましたが、現在ではイルカすましを作る魚屋さんも減り、貴重な珍味になっています!
チューイングガムとイルカすましの価値が逆転しているなんて面白いですね。
佐藤家・吉田家
長野商店からさらに西に歩いていくと、右に佐藤家というお屋敷が見えてきます。
なまこ壁が太陽の光を受けて一層輝いているようです!
白と黒のコントラストがとても美しく、重厚感が漂っています。
戸を開けて声をかけると、中を見せてもらえることになりました!
入ると東海道五十三次の蒲原宿の浮世絵のレプリカが飾ってあります。
他にもその浮世絵を模写して作ったお皿や塗り物もありました。
芸術に造詣が深い方のようで、丁寧にお話ししてくださいました。
その中で私が驚いたのは蒲原には「蒲原古代塗」という塗り物があるということです!
これは蒲原唯一の工芸品で今はもう作られていないのですが、
イベントごとなどの際には体験講座が開かれるそうです。
昔ながらのお宅には蒲原古代塗で作られたお盆やお膳が残っており、
地域の貴重な資源となっています。
佐藤家のすぐ近くに吉田家という、こちらもまたなまこ壁のお屋敷があります。
「僊菓堂」という屋号で和菓子の商家でした。
中へお邪魔すると和菓子屋さんだった面影が残っていました!
左の看板には羊羹、カステーラなどお菓子屋さんらしい文字が並んでいます。
真ん中の壺は、中にお煎餅を入れて、蓋をして湿気から守っていたそうです。
右は商品棚で、いちごもちが看板商品だったそうです。
苺は、かつては蒲原の山で採れていたのだとか!他にも千歳飴などを売っていたそうです。
佐藤家で蒲原古代塗を見たと話したら、「うちにもあるよ!」と見せてくれました。
中央に鳳凰が描かれていて、赤茶色っぽい色合いの箱膳でした。
オリエンタルな雰囲気が感じられます!
蒲原古代塗は久能山東照宮の建設にも携わった職人が蒲原の地に来て、彼が造り始めたものだそうです。明治期に量産化されるようになり海外に輸出したこともありましたが、太平洋戦争で職人を失ったことにより、製造が途絶えてしまいました。
居間へ上がらせてもらうと、急な階段が見えます。この階段は半畳のスペースだけで上の階へ上がることのできる作りになっていて、非常に珍しいもののようです。
吉田家が建築された明治20年から残っているものだそうです。
登らせてもらいましたが、少し怖かった…!
この階段を日頃から上り下りしているなんてすごいです。
小学生と地域の関わりについてもお話を聞かせてもらいました。
地元の小学生は地域学習に熱心に取り組んでおり、蒲原宿の宿場まつり(毎年11月開催、今年は中止)の際には来場者に蒲原宿を案内したり、蒲原古代塗の体験をしたりと、まちの魅力が若い世代に受け継がれているようです。
小学生は蒲原宿を発信する時に「つばめの宿場町」と呼んでいるそうです。
つばめは一度巣を作ると、毎年その巣に帰ってくる鳥だと言われています。
「つばめの宿場町」という言葉にはつばめが帰ってくるようにまた蒲原に来てほしい
という想いが込められているそうです。
子どもたちがそうした意味合いで「つばめ」という言葉を使うのには
きっかけがあったのだとか!それについては次のブログで書きたいと思います。
長くなってしまったので、ここで区切ります。
東木戸、西木戸のちょうど真ん中の辺りまで歩いてきました。
後半は蒲原宿②をご覧ください。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
はなまるたろう
2020年度地域文学文化基礎論Ⅰ