東海道二峠六宿を歩く〜蒲原宿②〜
こちらは蒲原宿②です。
前半をご覧になっていない方は「東海道二峠六宿を歩く〜蒲原宿①〜」をお読みください。
夜の雪記念碑
吉田家の近くを流れている川沿いに歩いていくと、夜の雪記念碑があります。
歌川広重 東海道五十三次の蒲原宿は「蒲原夜之雪」という名前がついています。
この作品が国際文通週間の切手に選ばれたことを記念して、歌川広重がこの絵を書いたと思われる地に近い場所に記念碑が建てられたそうです。
木陰が涼しかったので少し休みました。
少し歩くと手作りのパンを販売している清美軒があります。
楽しみにしていたのですがお休みでした…。
次に蒲原に訪れる時はしっかりと確認してから伺います。
和泉屋お休み処
こちらは国登録の有形文化財となっている建物です。「和泉屋」という屋号で営まれていた旅籠で、向かいにある本陣に身分の高い方が宿泊した際に、お付きの方々が泊まったそうです。
現在はお休み処としてお土産を販売しています。
私も旅の思い出に、「蒲原夜之雪」のポストカードを買いました。
展示されているのは一部ですが、五十三作品全て藍染で作ったそうです。作品を藍染にするのは非常に難しく、一作品あたり10回は試作品を作ったのだとか。
江戸時代、蒲原には三軒ほど藍染屋があり、戦前までは藍畑もあったため、
当時の文化を受け継ぐために、和泉屋では藍染体験ができるようになっています。
藍染で色を綺麗に出すには秋口がいいと聞いたので、
秋になったらここで体験をしようと思います!
和泉屋の向かいには本陣跡・佐藤家、さらに西へ進むと磯部家があり街道の歴史を感じます。
本陣は大名宿・本亭とも呼ばれています。
勅使や大名、公家などの身分の高い人々が宿泊し、主に参勤交代の時に使用されました。
磯部家は明治に建築され、使われている木材の全てが欅、窓は手作りのガラスでできており、繊細で美しい建物です。
旧五十嵐歯科医院
この建物は国の有形文化財に登録されています。
町家として建てられたものを洋風に増改築したもので、外観は洋風ですが内観や庭は和を感じさせる珍しい建物です。中は自由に見学できるようになっています。
一階は畳で和風、昔ながらの日本の部屋という感じです。
古い蓄音器やアイロン、電話がありました!レトロなものが好きなので堪らないです。
二階は洋風で、歯医者さんだった頃の様子が残っています!レトロモダンですね。
真ん中の写真は診察台で大正か昭和の初めごろのものだそうです。
蒲原宿①の記事で扱いましたが、蒲原古代塗がこちらにも展示されていました。
過去に、旧五十嵐邸で蒲原古代塗の展覧会が開かれたこともあったそうです。
旧五十嵐邸の隣には、手作りのジャムを販売している空遊庵というお店があります。
店内にはたくさんの種類のジャムがありました。リンゴやレモン、イチゴなどの定番のものから、スイカやバナナなどジャムとしてはあまり食べないフルーツまでジャムになっています。
さらに、人参やナスなどの野菜までジャムになっています。中でもサツマイモのジャムはテレビでも取り上げられるほど、美味しいと評判のジャムだそうです。お店の方にオススメはイチジクだったので、私はイチジクのジャムを買いました。家に帰り、トーストにつけて食べてみたら、とっっっっても美味しかったです!!
つばめの話
蒲原①の記事で「つばめの宿場町」について書きました。
実は子どもたちは、蒲原宿の街道沿いにある駄菓子屋さんの「駄菓子ツバメ」、
ゲストハウスの「TSUBAMENOYADO(燕之宿)」という名前に着想を得て
「つばめの宿場町」というキャッチフレーズを思いついたそうです。
この二軒は1組のご夫婦が営んでおり、駄菓子屋さんは、「子どもたちの帰ってくる場所、馴染みの場所となるように」、ゲストハウスは「バックパッカーの方や観光客が帰ってくる場所となるように」という想いを込めて「つばめ」という言葉を使っています。
お二人が温かくお話ししてくださり、私も蒲原にまた「帰って」きたいなと感じました。
場所は、ゲストハウスが旧五十嵐邸から西へ進んですぐ左手の、志田邸という国登録有形文化財の建築物の奥に、駄菓子屋さんが、そこから街道沿いに歩いて右手にあります。
増田家・西木戸
蒲原宿の街道はL字になっており、そのちょうど角の辺りにあるのが増田家です。
増田家は格子戸の建物となっています、格子戸は平安時代に初めて現れた建具で、伝統的な日本建築の方法の一つです。かつては、街道沿いに格子戸のある家が並び、情緒あふれる風景をつくっていたそうです。
角を曲がり少し歩くと、西木戸が見えてきます。
元は、現在の西木戸よりも南側に宿場が広がっていましたが、高潮による大きな被害を受けて東海道が移動したそうです。
西木戸に到着しました!!木戸内は約1.15kmの道のりでしたが、
のんびりと歩き、蒲原で暮らしている方からたくさんのお話が聞けたので
とても濃い旅になりました。ちなみにかかった時間は3時間ほどでした。
蒲原宿を歩いてみたい方は是非ご参考に。
街道に残る歴史的な街並みから、蒲原宿の当時の様子が想像され、蒲原宿を大切に想う人々の気持ちが感じられました。
今回は木屋江戸資料館に入ることができなかったり、パン屋さんに行けなかったりとまだまだやり残したことがあり、藍染体験もしてみたいので、また近いうちに蒲原宿に帰ろうと思います!!
最後までご覧いただきありがとうございました。
はなまるたろう
2020年度地域文学文化基礎論Ⅰ
東海道二峠六宿を歩く〜蒲原宿①〜
蒲原宿って?
蒲原宿は、東海道五十三次の、日本橋から15番目の宿場町です。
静岡県内で唯一「歴史国道※1」に指定されており、
当時の趣が感じられるレトロな町並みが魅力です。
なまこ壁※2や格子戸が美しい家屋、そして和洋折衷の建築物が
今もなお残っており、道ゆく人を惹きつけます。
※1 旧建設省により選定された、歴史上重要な幹線道路として利用され、歴史的文化的価値を持つ道路を指す。
※2 壁面に平瓦を並べ、その目地に漆喰をなまこのように盛り上げて塗る工法によりできる壁のこと。防火性や保温性、保湿性に優れており土蔵に用いられる。県内では他に松崎町や下田市でなまこ壁の建築物を見ることができる。
浮世絵師である歌川広重は、東海道五十三次の中で唯一雪のある風景として
ここ蒲原宿の景色を描いています。
人影もまばらな夜の街道、音もなく深々と降る雪の情景は、絵師の心象風景でしょうか。(中略)人間と自然との調和した描写は、地名を超越した普遍的な風景画として強い印象を与えます。 浮世絵のアダチ版画オンラインストアより
それでは実際に歩いてみます!!
今回のスタートは東木戸、ゴールは西木戸とします。
江戸の宿場には木戸あるいは見附と呼ばれる宿場の入り口がありました。
木戸により通行人の監視をし、宿場の治安を維持していたのです。
蒲原宿の木戸と木戸の間は約1.15kmあり、今回はこのコースを歩きます。
東木戸・渡邊家
JR東海道本線新蒲原駅で下車し、東木戸まで向かいます。↓到着。
ここから今日の散歩ははじまります。すぐ近くに諏訪神社があったので、
旅の無事をお祈りしておきました。ちなみに蒲原の諏訪神社には大きなシイノキがあります。
大きすぎて写真に収まりきりません。
歩き始めると右手にメグミルクの自動販売機が!開始早々喉が乾いたので見てみると、なんとビンの飲料がありました。初めて見た!
しばらく歩き、橋を渡ると、渡辺家・木屋江戸資料館が左手に見えてきます。訪ねるも、主人が留守にしており、中を見ることはできませんでした。
渡邊家は江戸時代に名主として蒲原宿を取り仕切る問屋をしていました。「木屋」というのは木材の商いをしていたことに由来する屋号です。渡邊家の土蔵や中にある文書は静岡市の有形文化財に指定されています。
歩みを進めると、こんなものが。
他にもゴーヤやオクラの無人販売も見かけました。なんだか可愛らしい雰囲気で好きです。
もっと早い時間に行ったら売っていたのかもしれません。
ちなみにこの辺りを通ったのは12時頃でした。
イルカすまし
ちょっと歩くと、「イルカすまし」と書かれた看板が。イ、、イルカ?!
しかも張り紙をよく見ると「蒲原のチューイングガム」「蒲原のゴム」なんて呼ばれているらしいです。(え…なにそれ…。)
未知のものと出会う気分でお店の中へ。
お店のおじちゃんに「イルカすましってなんですか」と聞くといろいろ教えてくれました。
イルカすましとは、イルカの背びれや尾びれの部分を薄く切って水にさらし、茹でた後に、塩を揉み込んだ食べ物です。イルカの背びれや尾びれは脂が多く、また臭みを取るのにも時間がかかるそうです。作ったばかりのものはイルカの身と塩とが十分に馴染んでおらず、塩気が強い味わいですが、しばらくすると馴染んできて、ほんのりとした塩味が日本酒によく合うそうです。
「どんな味かわからないだろうから」と一切れ試食させていただきました!人生初イルカ!
食感は確かにガム、ゴムといった感じでした。味は…。塩の味とイルカ独特の臭みが口に広がっていくようでした。好き嫌いが分かれるとおっしゃっていましたが、どうやら私は後者のようです…。ただ、イルカのすましが好きな人は本当にその味にハマるそうで、遠方からお客さんが来店したり大量の注文を受けたりするそうです!!
臭みがあると言いましたが、昔のイルカすましと比べると厚みも臭いも薄くなり、抜群に食べやすくなったらしいです。
ちなみに、おじちゃんが子どもの頃はイルカすましよりもチューイングガムの方が高価なものだったため、おやつ代わりに食べていたのだとか!その習慣があったからイルカすましが「蒲原のチューイングガム」と呼ばれるようになったのですね。当時は駄菓子屋でよく売られていましたが、現在ではイルカすましを作る魚屋さんも減り、貴重な珍味になっています!
チューイングガムとイルカすましの価値が逆転しているなんて面白いですね。
佐藤家・吉田家
長野商店からさらに西に歩いていくと、右に佐藤家というお屋敷が見えてきます。
なまこ壁が太陽の光を受けて一層輝いているようです!
白と黒のコントラストがとても美しく、重厚感が漂っています。
戸を開けて声をかけると、中を見せてもらえることになりました!
入ると東海道五十三次の蒲原宿の浮世絵のレプリカが飾ってあります。
他にもその浮世絵を模写して作ったお皿や塗り物もありました。
芸術に造詣が深い方のようで、丁寧にお話ししてくださいました。
その中で私が驚いたのは蒲原には「蒲原古代塗」という塗り物があるということです!
これは蒲原唯一の工芸品で今はもう作られていないのですが、
イベントごとなどの際には体験講座が開かれるそうです。
昔ながらのお宅には蒲原古代塗で作られたお盆やお膳が残っており、
地域の貴重な資源となっています。
佐藤家のすぐ近くに吉田家という、こちらもまたなまこ壁のお屋敷があります。
「僊菓堂」という屋号で和菓子の商家でした。
中へお邪魔すると和菓子屋さんだった面影が残っていました!
左の看板には羊羹、カステーラなどお菓子屋さんらしい文字が並んでいます。
真ん中の壺は、中にお煎餅を入れて、蓋をして湿気から守っていたそうです。
右は商品棚で、いちごもちが看板商品だったそうです。
苺は、かつては蒲原の山で採れていたのだとか!他にも千歳飴などを売っていたそうです。
佐藤家で蒲原古代塗を見たと話したら、「うちにもあるよ!」と見せてくれました。
中央に鳳凰が描かれていて、赤茶色っぽい色合いの箱膳でした。
オリエンタルな雰囲気が感じられます!
蒲原古代塗は久能山東照宮の建設にも携わった職人が蒲原の地に来て、彼が造り始めたものだそうです。明治期に量産化されるようになり海外に輸出したこともありましたが、太平洋戦争で職人を失ったことにより、製造が途絶えてしまいました。
居間へ上がらせてもらうと、急な階段が見えます。この階段は半畳のスペースだけで上の階へ上がることのできる作りになっていて、非常に珍しいもののようです。
吉田家が建築された明治20年から残っているものだそうです。
登らせてもらいましたが、少し怖かった…!
この階段を日頃から上り下りしているなんてすごいです。
小学生と地域の関わりについてもお話を聞かせてもらいました。
地元の小学生は地域学習に熱心に取り組んでおり、蒲原宿の宿場まつり(毎年11月開催、今年は中止)の際には来場者に蒲原宿を案内したり、蒲原古代塗の体験をしたりと、まちの魅力が若い世代に受け継がれているようです。
小学生は蒲原宿を発信する時に「つばめの宿場町」と呼んでいるそうです。
つばめは一度巣を作ると、毎年その巣に帰ってくる鳥だと言われています。
「つばめの宿場町」という言葉にはつばめが帰ってくるようにまた蒲原に来てほしい
という想いが込められているそうです。
子どもたちがそうした意味合いで「つばめ」という言葉を使うのには
きっかけがあったのだとか!それについては次のブログで書きたいと思います。
長くなってしまったので、ここで区切ります。
東木戸、西木戸のちょうど真ん中の辺りまで歩いてきました。
後半は蒲原宿②をご覧ください。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
はなまるたろう
2020年度地域文学文化基礎論Ⅰ